品川から町田の図師に学童疎開した子ども達のお世話をしました

f0020662_1750145.jpg
 今日は朝から雨が降っていてどうなることかと思いましたが午後は晴れ間もみえ「忠生・小山田地域九条の会」にふさわしいお天気になりました。桜台のケヤキ並木もすっかり色づき赤や黄色の美しいコントラストが見事です。
 馬駈会館で町田の戦争を知る企画の第2弾「梅澤美代子さんのお話を聞く会」を催しました。梅澤さんはもうじき92歳。関東大震災も、2・26事件も間近で見てこられたそうですが、太平洋戦争末期の昭和19年8月、品川区の大井鈴が森国民学校から疎開学童寮母として疎開児童と共に、町田の図師に来て、円福寺で小学生20人のお世話をされました。
 ご自身も8ヶ月の娘さんを抱え、ご主人は出征されていたのですが、親元を離れた女子児童のお世話は大変だったことでしょう。洗濯、炊事、そして夜も子ども達と一緒に寝る毎日、円福寺は本堂の周りがガラスだったため、月夜にはガラスが反射して、電気のように見え「明かりをつけるな」と警防団に怒られたそうです。
 終戦の「玉音放送」を子ども達と本堂に正座して聞いたそうですが、「ああこれで毎晩電気をつけられる、」「家に帰れる」とうれしかったそうです。
 品川のお家は空襲で焼けてしまったため、以来町田に住むようになられたのですが、今でも当時の子ども達(もう後期高齢者の仲間入りをしている方たちです)から母の日のプレゼントや、手紙が来るそうです。
 国策による疎開とはいえ、心細い思いの子ども達にとってはお母さんの代わりだったに違いありません。
 92歳とは思えないほど頭脳明晰、耳も目もしっかりしておられる梅澤さんでした。見せていただいた当時の子どもから後年来た手紙に、「お目もじがかなったのも、平和と健康のおかげと感謝し、再会の機会を得たいと存じます」とありました。平和が一番。この平和を守りぬくために、忠生・小山田地域九条の会」をますます発展させなければ。
 終わって恒例の野菜即売も行いました。みんなが元気になったつどいでした。
[PR]

by yoko_sato_jcp | 2008-11-15 17:50