私の叔母鈴木キミのこと

2年間の日記
 昨日実家に行ったときに、義妹から2冊の日記帳を渡されました。亡き叔父の手提げ金庫の中から出てきたのだと言って「これはお姉さんが持っているのが一番ふさわしい」といって預けられました。
 小型のハードカバーの日記帳です。それは、私の母のすぐ下の弟のつれあいであった鈴木キミの日記です。今生きていれば82歳。1973年7月に癌で亡くなりました。享年47歳。あまりにも早い死でした。
 その叔母が、70年に発病してから二年間の闘病記を書き残していたのです。なくなる前は書き続けられなかったのでしょうか72年の10月ごろで終わっています。
 今日は一日その日記を読んで過ごしました。叔母は幼いころに母親をなくし、父親に育てられました。15歳で日産火災海上の給仕になったと聞いています。その後社員となり組合運動をする中で、日本共産党を知り入党したようです。
 全損保という組合の役員をやりながら、新日本婦人の会結成と同時に新婦人専従の道を選び、東京都本部の初代副会長になりました。
 東京に革新の美濃部都知事が誕生したときも中心になって頑張りました。
 体の小さい可愛い人でしたが、いつもパワーにあふれ、手先が器用でいつも時間があると編み棒を動かしていました。私たち姉弟が子どものころは、クリスマスになると手袋や靴下を編んで枕元にプレゼントしてくれました。
 子どもができなかったので、私たち甥、姪をとても可愛がってくれ、とりわけ私を養女にしたかったようで、忙しい仕事の合間に、いろいろなところに連れて行ってくれました。高校生になった私の悩みを聞いてくれたのもキミ叔母さんです。
 学歴はなかったのですが、文章も上手で、勉強家で、字がきれいで、机に向かっている姿を思い出します。その机は今息子の部屋にあります。
 2冊の日記帳は、闘病記でもありますがその中心を貫いているのは、共産党員としての崇高な生きざまです。こういう人にこそ生きざまということばがふさわしいと思える内容でした。何度も涙しながら、笑いながら読み終えました。
 47歳のキミさんの生涯は立派だったと拍手を送りたいと思います。と同時に生きていればもっと活躍できただろうにと無念の気持ちになります。
 70年に私は、再起が危ぶまれるキミ叔母さんの遺志を受け継ごうと叔父と叔母に推薦してもらって、日本共産党員の一員になりました。
 これからも困難なとき、迷ったとき、わたしはこの2冊の日記を読み返して、前に進もうと思います。今年最初に、今年はもっと共産党員としての資質が試される年になると思い決意も新たにしました。
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by yoko_sato_jcp | 2008-01-02 23:42