町田市戦没者追悼式に出席

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■ 二度と再び戦争の惨禍によって命奪われる時代がこないように。

 今日は市民ホールで行われた、町田市主催の「戦没者追悼式」に出席しました。写真でもお分かりのように、舞台には、菊の花に飾られた2278人戦没者のお名前を収めた祭壇がすえられ、真ん中には、戦没者之霊の白木の柱が立てられ、市旗と日の丸が両脇に。
 左右には、町田市遺族会の旗が並べられていました。62年前に終戦を迎えた戦争で、未来ある命を奪われた幾多の人びとの無念さや、残された遺族の皆さんの苦労、苦しみを思うとき、二度と戦争は繰り返してはならないという思いと同時にあの戦争がなぜ起きたのかという歴史の真実をしっかりと見据えることが必要だと思います。
 私の父は20歳で、軍隊に取られ、2・26事件のときは近衛兵でした。それから終戦まで、10年の間に、3回も召集され20代の青春を戦争の中で過ごしたのです。
 多くは語りませんでしたが、中国東北部にも行ったそうです。その地でどのようなことがあったかは想像に難くありません。
 戦後父は平和な社会を創ることに力を尽くしました。叔父は二十歳で招集され南方のニューギニア島の近くハルマヘラ島に転戦しそこでマラリアに罹り奇跡的に命ながらえて、終戦から2年ほど経って和歌山県に帰還しました。
 生き物は何でも食べたそうです。マラリアの後遺症で、心臓と肝臓を病み、70歳で亡くなりました。あの大戦で、亡くなった人も、戦争の傷を心にも身体にも持って戦後生きた人も、やはり戦争の犠牲者です。
 戦争を起こした人、命令した人、終戦を遅らせた人。私は許せないのです。日の丸を背負わされ万歳に送られた兵隊の思いや家族の思いが私には私の母や、祖母の思いと重なってしまうのです。
 この式典が、市民が平和について考え、戦争のない社会を作るための市民参加型の式典になるといいのになあと思ったことでした。
 ご遺族の方もどんどん高齢になり、参加される方も年々減ってきています。先日お兄さんをなくされた方に、地域の戦没者の名簿を見せていただく機会がありました。ほとんどの方が2等兵、上等兵で、戦死といっても、南方での戦病死が圧倒的でした。マラリアや、チブスもしくは餓死です。二度と再び戦争が起きることのないよう、平和な日本を次の世代に引き継ぐことが出来るよう、今こそ憲法9条が大切としみじみ思いました。
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by yoko_sato_jcp | 2007-10-30 21:42